四国の一風景となっている遍路。 お遍路さんで賑わう門前で遍路同士が問答していた。 日に焼けた遍路が厳しい顔で「こんなことをするな。同じ様に見られて困る...」。相手は小鉢を置き、施しを受けている遍路である。 最近、歩き遍路をよく見かける、喜捨を求めての遍路も見かける。 私の微かな記憶の中には、門前にいたハーモニカを吹く傷痍軍人。鍋釜などを手押し車に載せた巡礼者。犬を供にすだくの巡礼者。門前の石垣に黒々と残っている煮炊きの跡も憶えている。 それ以上に巡礼で生き延び得ようとしてきた六十六部が喜捨の心「お接待」の歴史を作ってきた。 喜捨は法悦を得られる。得られるのは喜捨をする方である。まして門前である。 そして、仏を思い出す「縁」を造ってくれる、渡る側の背景を問うのは野暮である。 門前で問答していたお二人は、遍路笠を頭に載せていた。笠には迷故三界城 悟故十方空 何処有南北 本来無東西 同行二人と墨で書かれている。 お二人のお遍路の無事、成満を祈る。