二千五年正月


2005.1.1


新しい一年が始まった、数え年で四十六。
この一年はどんな年となるのやら、辛いつらい事も起きるのか、戦争は終結するのか、昨年を振り返ればどうしても暗くなる。
災害も多かった。ここ国分寺町も台風の被害があった、十月二十日午後三時過ぎ、この時も度重なる台風が四国に上陸して大雨であった、夏後半から続く雨雨、雨の中お葬式があり納棺に出向くため車に乗って自坊をでた、二つ目の角を曲がる距離にして150メートル旧街道に出た、眼が点になる、見慣れている道筋の先、山下散髪店と千田のみっちゃんとの間の道が濁流が怒濤の流れである。嗚呼と口を開けたまま気を取り直し喪家に進んだが、どうにも行けない、至るどころ水没している。あきらめて自坊に帰り境内の排水、雨樋等を点検した。国分寺町水害(広報こくぶんじ・台風23号 郷土を襲う)

日本全国たいへんだった。地震もあった、山間部の地震は都市部の地震にない苦労がありそうだ、貨幣価値に代えることのできない積み上げてきた目に見える物目に見えない物に支えられ支える事で成り立ってきた生活が根こそぎ崩れる地震、何もできぬが祈願する。

世界も大変だった。ネパールにいる友人家族が安否不明となる、津波があった日はプーケットとかピピ島とかに滞在予定。私が日本の連絡所の一つになっていたらしくネパールの事務所から電話がある、「酒井一家と連絡取れない...」十万人超の死者、海辺を襲う津波、一時はあきらめ不謹慎か職業柄か死後の段取りを考えているとバンコクから電話があった被害ゼロ元気だと。安心した。しかし広範囲の被害、けっして豊かではない国々の海人、これまた私は何もできぬ。亡くなられた十万人超の方々のご冥福を祈る。十万人超もの人間が一時で亡くなる事とは、どんな風景、状況になるのだろうか!

イラク周辺もどんな風景、状況なのか、余りにも簡単に殺し殺されている、爆弾を巻き付け群衆の中で自爆、銃口を人間に向け照準を合わし狙いを付け引き金を引く、絶対的な破壊力の爆弾を町にめがけて落とすパイロット、如何に効率よく殲滅できるか考える指揮官、武器を運ぶ運転手、作る社長、働く人々...

奈良での女の子誘拐殺人、加害者はいつ頃から犯罪行動・思考の種が宿り芽が出てきたのだろうか、この痛ましい事件は性犯罪とされている「性」なら普遍的な種だ、それとも特別な「犯罪の種」があるものか、どちらにせよどんな種でも縁起の中芽が出て芽は縁起で伸びてゆく、しかし加害者は問答無用の罪を犯した。女の子の親御さんが「極刑以上の刑を望む」とコメントしたとニュースで知る、これはどんな過酷な刑だろうが癒されない事の裏返しである、犯罪被害者の遺族の心の内を第三者が簡単に覗くことは憚ることだが。

正月早々から暗い話ばかりで嫌だけどどうしてもそちらに向いてしまうから仕方がない、今年も何処かで必ず、痛ましく辛い事件・事故(原子力発電関連が一番怖いな)・天災など災害が起こるだろう、いつかどこかで避られないこともあるだろう。


「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是はこれ災難を逃がるる妙法にて候。」
ー良寛ー

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
ー 釈迦ー

どんなことがあろうとも毎日はある、仕方がなくても日々はくる、前を向こうが横を向こうが後ろを向こうが腹はヘル
ー啓純ー


正月二日


初夢は何だか煩悩の固まりのような夢だった、残念。
本日も檀家さんの年始参拝の合間に駄文をひねろう。
ひねる暇なし。

正月三日
僧侶となってこの方ほとんどの正月は広島厳島にある大聖院と云う大きな寺に護摩祈祷師の仕事あり働いていました平たく云えば出稼ぎです、この寺の住職は密教学院の同窓です、かれこれ20年も正月は大聖院本堂の波切不動の眼下の護摩壇で祈願祈祷供養でありました、おかげで護摩次第を忘れることが防ぎました。
住職がいない寺の正月はやはり寂しかったらしく昨日は盛り上がりました。

暖かい正月です、この数年間年賀状をださなくなり返事もださなく不義理していた、唯何となくの理由でである、だから必然年々来る賀状枚数は減る。くたくたになって出稼ぎから戻り返事を書く気力もなしその内タイミングがそれ「まあいいやであった」。今年は返事は出せた。
行方不明の数枚のお方には出せず仕舞でした、どこへ行ったのだろうあの年賀状。





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