仏法僧

仏法僧とは
仏と法と僧を三宝という。
三宝とは

三つの宝の意。仏と法と僧。さとりを開いた人(仏buddha)と、その教え(法dharma)と、それを奉ずる教団(僧sangha)という三つをいう。
仏(さとりを開いた教えの主)・法(その教えの内容)・僧(その教えを受けて修行する集団)の三つを宝にたとえた語。これは仏教を構成する三つの大切な要素である。三宝に帰依することは仏教徒としての基本的条件である。
これらの三つは別のものとしてみればそれぞれ別個であるが、しかし本質的には一つとも考えられる。また釈尊亡き後も三宝はあるべきであるから、その点で、仏像と経巻と出家とを三宝ということができる。

中村元著仏教語大辞典



「法には三つある。」と修行時代のノートに書いてある、聞いた覚えも少しある。


密教のページ
 
◇古来インドの部族に関係があるかも。
◇1300年ごろインドで仏教が滅んだ。
◇生き延びた僧侶はビルマなど南方に逃げた(一部は北インド)。
◇大師が持ち帰らなかった、密教が上記の場所にある。
◇密教はインドで最後の仏教。
◇密教は純粋な仏教ではない。インド教+バラモン教+ヒンドゥー教。
 あらゆる思想を含んでいる。
◇釈尊をあまり重要視していない。
◇密教は大日如来、量的・時間的全てを含んでいる。

中略

◇唯織論、神仏は心の中に。と続き「法」のページになる。
 出だしは、「法には三つの意味がある。」

一、自然界の法
二、宗教界の法
三、人間界の法

一は、自然界、宇宙のシステム。全てのものに真理あり。
二は、それぞれの宗教が持つ教え、戒律。例えば仏法。人生における真理。
   「生」と「死」。「合」と「別」。因縁。
三は、人と人の約束。
                     7月13日  密教史 主村先生 集中講義ノートより抜粋。


ノートには、自然界の全てのものに真理あり。とある。
「真理」と云う言語は響きがいい。真理とは否も非もない法則であり、思想と事物の一致するところである。
例えば。
人もコガネムシも同行である。太陽(宇宙)の加護と恵みの中、丸い地球は無量の生き物を育むこと無辺であり。
その上で、我々の日々の暮らしもコガネ虫も、繋がり続く命は現実で生かされている。そして、己の体の面倒は手前で看ている。(ホメオスタシス・生体がさまざまな環境の変化に対応して、内部状態を一定に保って生存を維持する現象。また、その状態。血液の性状の一定性や体温調節などがその例。動物では主に神経やホルモンによって行われる。ストレスになりうる外界の環境の変化に対して、生体を安定した恒常的状態に保とうとする仕組み。自然治癒力。)これも真理である。
しかし、生命体は一個体でそれぞれ完全であるが単独では生き延び得れない真理。
これらの真理の乗り物の地球。
地球の存在も真理である。
ガイア仮説と云う物がある、1970年。J・E・ラブロックが打ち出した。地球もホメオスタシスが機能しているひとつの生命体と考え、名はガイアと名付けた。根拠のひとつは酸素濃度である。地球の大気の酸素濃度は21%で、22%になれば山火事が異常増加する。反対に酸素20%をきると陸上生物は滅びの道を進む。何十億年という間、変わらずであるらしい。
科学に疎い私もこの説には頷ける。なんと、絶妙なバランスなのだろうか。

母なる地球なのだ。
地球は太陽の何番目かの惑星であり、全ては宇宙にある。外なる宇宙を金剛界、内なる宇宙を胎蔵界として両界を不二として、密教は宇宙(真理)の説明を「大日如来」と云う偶像最高神でイマジネーションした。
この思想は空海と恵果阿闍梨 の出会いが決定づけ今日にいたる。
全てに真理(法)があり。真理なら不二(非対立)であると大日如来は説く。
どこまで付いて行けるか。



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