仁和寺密教学院入学


仁和寺密教学院はなかなかの実体験を与えてくれた。
密教は行(四度加行・修行)が不可欠である、千数百年の昔から連綿脈々と続く師資相傳、阿闍梨への道。
1983年4月。私は、密教学院に入学する。
何から何まで定めがあった。今でもはっきりと憶えている最初の食事、カレーライスと汁と茶、厳つい寮官上座に座り、入学生コの字に座り黙々と食べる。
だれ一人喋らない、食べ終わるとカレーの皿に茶を垂らし、汁の具の一片の御揚げを使って皿を洗い、次に汁碗に移しそれを飲み干した。
ようするに、どうしても皿に残ってしまうルーを、茶と御揚げを使って飲み干し、仕舞いを付けるのである。
なにをしたいかは認識できたが、私はしなかった、しかし背けたのは最初だけだった。
かくして、厳格な寮官の元で修行僧の日々が始まった。

一粒一滴皆御恩なのか

十人の修行生活、瑞哲、晋英、英道、裕全、正裕、寛悛、快純、俊善、因善、啓純(私)は寝食を共にした。外出、面会、通信、制限が山ほどあり、カミソリで頭を剃りあげ、根っこのような一年を過ごした。
履物は下駄。下駄は慣れるまで辛かった、私は足の甲が薄いもので走れば頭に響く。

ある朝、ひとりの院生が居なくなった。
下駄を持って出奔する姿を目撃されたとか、どうしても筍が食べれず泣く泣く中退、嫁さんが面会に来てそのまま消えたとか、オレの寺はこんな事必要ないと退学したとか過去に辛抱できず学院を去って行った話を真しやかに聞く。他人事ではなかった。
もう二度ととの気持ちはあるが、えがたい一年となった。
宮内寮官先生ありがとうございました。

食事作法

やはりなによりも楽しみは食事だった。
週ごとに代わる二人組の食事当番(じきじとうばん)が作る。もちろん精進料理の材料しかなく、その上料理は素人ばかりで、何でも醤油で炊くしか智慧はなかった。
「音を立てるな」「五秒でも早く」「一切を残すな」が食事作法の掟であり、この掟が煮炊き配膳をも支配していた。
日誌当番が玄関脇に吊るしている厚い板を叩いて一日をこと細かく刻む、その時を知らせる音から始まり、金剛拳を腰に宛てがえ足並みそろえて食堂に入る。食事当番が適当に量に差を付け配膳しているのを一瞬で見極め着座する下手をすれば地獄である。
少量なのはまだ良い、満ち足りた気分を味わえなえが明日がある。しかし、てんこ盛りもあるのだ、残す事はご法度である。上座には半眼の寮官が座している。
食うことでは皆でよく揉めたがその内に阿吽の呼吸となった。

サンパラギャタ 平等行食



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