毎日新聞2005年2月11日11面より

ライファーズー終身刑を超えて

米の更生プログラムにみる社会復帰

【大道寺障子】


奈良市の女児誘拐殺害事件をきっかけに、性犯罪者らの再犯をどう防ぐかがクローズアップされている。そんな中、米国で凶悪犯罪を起こした人々が、更生プログラムを通じて生まれ変わろうとする姿を描いたドキュメンタリー映画「ライファーズ・終身刑を超えて」 (04年作)=写真上は一シーン=が各地で上映され、話題になっている。
この映画を撮った映像ジャーナリストで京都文教大助教授の坂上香監督(39)に、映画の背景などを聞いた。


坂上監督は虐待などをテーマにしたテレビ番組を担当した際に、今回の「ライファーズ」で取り上げた犯罪者らの更生を支援する米国のNPO(非営利組織) 「アミティ」を知った。「犯罪者やアルコール依存者らが互いの過去をさらけ出し、生まれ変わろうとする姿に衝撃を受けた」と言う。

00年には国内での「アミティを学ぶ会」結成に携わり、アミティ代表者らを日本に招くなどしてきた。初監督作品の「ライファーズ」は、昨夏開かれたニューヨーク国際インディペンデント映画祭で、海外ドキュメンタリー部門最優秀賞を受賞した。タイトルの「ライフアーズ」とは終身受刑者や無期刑受刑者のこと。アミティは81年に活動を開始。元犯罪者らが学校のような開放的な施設で共同生活を送りながら、さまざまな更生プログラムを通じて社会復帰を目指す。また、いくつかの刑務所内で受刑者の更生プログラムを運営委託されている。更生して釈放された元受刑者らがスタッフとしてかかわっているのもアミティの大きな特徴だ。

作品の舞台となった刑務所では、プログラム参加者の再犯率は、ほかの受刑者に比ベ3分の1という。なぜ再犯率が下がるのか。殺人など凶悪犯の多くが、加害者であると同時に、被害者でもあると坂上監督は指摘する。「幼いころに虐待や性的暴力を受け、自分の身に起こったことや、感情をコントロールする方法を、きちんと理解できないまま大人になった人が多い。ほかの受刑者の話がきっかけで、『自分も同じ』と自分自身を見つめ直し、変わることができる」と話す。

アミティでは被害者の視点と、加害者の視点で何度も繰り返し語り合う。映画にもこうした精神が生かされている。殺人を犯したある受刑者は、更生したように見える。しかし、被害者の遺族が「この男は釈放されるべきでない。人の命を奪ったのだから、社会に戻って暮らす権利などない」と語るシーンも描かれている。性的暴力犯罪の数や薬物依存の割合など、日米は単純に比較できない面もあるが、日本でも米国のミーガン法のように性犯罪者の情報を市民に公開すべきという声も強まっている。坂上監督は「日本では更生プログラムもほとんど実施されていないのに、厳罰化だけを進めても問題を複雑化するだけ。
また犯罪を犯した人だけが問題なのではなく、幼児ポルノなどをはんらんさせている社会の在り方も考えなければならない」と言う。
坂上監督はこの映画製作が決まった直後に妊娠が分かり、生後間もない長男、母親と一緒に渡米しての撮影となった。子どもを持ち、虐待問題をより身近な問題として考えるようになったという。「子どもが犯罪を犯した時、『更生不可能』と決めつけるより、チャンスを与え、社会的に生かしていく発想が大切なのではないか」と問いかける。


 
12〜18日、京都市下京区の京都シネマで上映。一般1800円。
各地で自主上映できる人たちを募っている。問い合わせは映画支援プロジェクト
事務局(042・947・0750)へ。




掲載にあたり


「ジャーニー・オブ・ホープ〜死刑囚の家族と被害者遺族の2週間〜」と言うドキュメンタリーを思い出した。(ディレクター、坂上監督)
朧にしか覚えていないが、アメリカでのドキュメントで死刑囚の家族と被害者遺族が死刑廃止を訴えて行う2週間のキャラバンを撮影したものだった。
夜の刑務所の域外で今まさに処刑が始まろうとしている死刑執行を引き止める祈りの集団と死刑執行を望む祈りの集団が対峙している、驚きだった。

罪を犯す、大罪を犯す、人を殺す、刑務所にはいる、服役する、禁固13年、無期懲役、終身刑、禁固270年、死刑。

「ライファーズ・終身刑を超えて」
作品の舞台となった刑務所では、プログラム参加者の再犯率は、ほかの受刑者に比ベ3分の1と言う。
「日本では更生プログラムもほとんど実施されていないのに、厳罰化だけを進めても問題を複雑化するだけ。また犯罪を犯した人だけが問題なのではなく、幼児ポルノなどを氾濫させている社会の在り方も考えなければならない」と言う。

私は思う。
何故日本では更生プログラムなどの機構が立ち後れるのか、アメリカや諸外国と比較検討するのも一つだが、もっと根っこを知りたいし探りたい。
更生プログラムとは娑婆に出てきた人との付き合い方なのだ。
テレビが刑務所を映し出す。号令の中、手を上げ足を上げ規則規則一切無駄なしのモザイクの受刑者、刑期終わり娑婆に出る、号令も規則も取りあえずない世間。そう簡単には馴染めなくて当たり前だろう。世間の風は冷たい。
刑務所の受刑者の処遇も日本独特の方針がある(よく調べてはないが)と思う、これも人が人とどう付き合うかの中で人が罪人とどう付き合うかであり同じ線上にある。
人が人と...とは、個が個と...だと思うがそうではない場合が多い、「個」の後ろに周りに付いているものの内容や内容の強弱で関係は大きく変わる。
「ライファーズ・終身刑を超えて」が可能となる素地には「個」の後ろ盾に宗教(キリスト教)があるからだろうか。我々の「個」には共同体(世間)が後ろ盾となっているのだろうか。

宗教の美しさ、共同体の醜さ。宗教の醜さ、共同体の美しさ。