佛教綱要

第一章 印度の密教
第一節 密教の起源

南天鉄塔と真言密教
弘法大師の付法伝によると真言密教の起源は釈尊入減後八百年(今より1700年前)の頃に竜猛(竜樹)菩薩が出世せられて、南天鉄塔を開いて秘密教を始めて人間に流布せられたという。
南天の鉄塔は第一祖大日如来が説法せられたものを、第二祖金剛薩□(サッタ)が結集して相伝せられたものである。この第二祖は理想仏で人間ではない。そして第三祖竜猛(竜樹)菩薩が現実の真言宗の始祖である。故に伝持の第一祖とするのである。

真言密教の教主 
そこでこの真言密教を説いた教主は二教諭によると仏には、法、報、応の三身があり、教には顕密の二種がある。応化の開説を顕教と云い、法身の談話を密蔵と云うところからこの応身とは即ち釈尊のことである以上釈尊の説いた教が顕教で、法身大日如来の説いた教が密教であるということになる。即ち釈尊が大日如来の三昧に住して説いたのが密教であるというのである。
しかし歴史上の釈尊が教主ということであるが、釈尊が霊躰仏として大日如来となられた時に於てのみ釈尊と大日とは合一するが全く別個の存在でこの歴史上の釈尊と、大日如来とはあくまで混同してはならない。しかし釈尊自ら大日如来そのものとなられた時に教主大日如来に合致したのである。この大日、釈迦が不二一体となられた時は、釈迦が大日の境地を演説説法することが出来るが、釈迦が大日の境地に住せざる時は釈尊と大日とは全く別仏である。したがつて真言密教は歴史上の釈迦教で、仏教たることは否定出来ない。即ち真言密教はいまを去る2500有余年前、印度カピラ城の大守浄飯王の長子たる釈尊が六年の苦行の後、菩提樹の下で覚悟して大日如来となられた教であるから釈尊は真言密教の教祖である。しかし釈尊はあくまで教祖で、教主ではない。教主はこの釈尊が悟られて仏となられた大日如来である。
釈尊と金剛サッタ
この歴史上の釈尊が永遠に生きる金剛サッタとして大日如来の職位を継いで、その境地をそのまま伝えんとするも遂に人を得られなかつた。この永遠に生き、永遠の道を伝える人をすべて金剛サッタというのである。
真言密教の成立年代
この金剛サッタに遭うて竜猛(竜樹)菩薩が何時、どこで伝えたか。ところは南天の鉄塔であるというが、これは竜猛の心眼に映ずるもので、人力の所造でも、地球上のある位置でもない。ましてその年代の如きは明ちかでない。不空三蔵の記述したといわれる金剛頂義決に基いた釈尊入減後800年の年時の如きは詳ではない。支那の玄奘三蔵が入竺の時には印度に密教の記事がない。しかし咸亨二年(西暦671)に入竺した義浄三蔵の時に密教が隆盛であったことからして約500年の差がある。要するに印度に純正密教の成立したあのは西暦5〜6世紀の頃で、その隆盛になったのは7世紀と見られる節が多い。しかもその成立した地方は西印度で、後になつて南印度に伝播して行つたようである。


真言宗豊山派宗務所編佛教綱要
昭和五十三年第四版発行
71ページ〜73ページより無断引用