久米寺(観賢山久米寺)

この寺は香川県綾歌郡飯山町東坂元にある三谷寺の末寺であり長い間、無住であった。縁がありこの寺の住職ではなく管理人として7年住んだ。
観賢山久米寺のいわれは以下である。

高松市歴史資料館のホームページより抜粋拝借


 讃岐の偉人といえば,「弘法大師・空海(774〜835)」の名があげられる。我々に限らず日本人の多くは,弘法さんとか,お大師さんと,尊敬と親愛の念をもち,祈りをささげている。
 ところで空海は,最初から弘法大師と呼ばれていたのではない。空海が大師号を朝廷から贈られたのは,その死後90年ちかくを経た,延喜21年(921)のことである。
 当時,真言宗教団では空海に大師号をという運動を行った。その中心にいたのが,坂田郷(高松市西春日町周辺)出身の高僧・観賢(853〜925)である。観賢は,延喜18年から運動に尽力し,大師号を得た後,高野山・奥の院の空海廟に入り,報告している。その時,観賢はのび放題になっていた空海の御髪をあたったという。空海は,亡くなっているのではなく,今も廟にあって,我々を見守っているという,「空海入定説」のはじまりである。
 このように現在に繋がる弘法大師信仰の基となるところで重要な役割を果たしたのが,高松出身の観賢であることを高松市民はもっと知っていただきたいし,誇りにもしていただきたい。
 廟での報告を終えた観賢は,空海の御髪をあたった剃刀を,故郷の坂田郷に埋めたという。今に伝わる「剃刀塚」がこれであるといわれる。
   

七年暮らした感想は、いい勉強になったことです。
血縁の関係じゃない者が寺に入ることは、中々鍛えられるのです。
「おいだすぞ」と恫喝されたりもしたが、だからなお、めげずに周辺の事など気にせずマイペースを通し、寺で生まれ育ったボンボンの私は新鮮な関係性を感じました。チョッピリ私は反省しています。


遥か昔の観賢僧正は如何に今世を観られますか
2004.8.10




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