特別史跡国分寺跡

文化庁が音頭をとり1983年から始まった。謳い文句は「宅地化が進む前に史跡を保護整備し、歴史的環境と調和のとれた町作りをめざす」
こんな事に成る前のこの辺りはのんびりと広い田んぼがずうっと続き、道筋には屋根瓦が良く似合う家並みがありました。
こんな風景のなか次々と発掘調査が始まり、宝林寺の周りの田んぼは発掘調査後に広大な公園と成り特別史跡内の家並みは歯抜けと成りました。(2004年現在まで四軒が立ち退き後十九軒が健在、しかし家屋の修理には条件が付き、建て替えは不可能)
かくして風景は変わり史跡内の家主はいずれは良くも悪くも立ち退く運命と成りました。
20年が過ぎ東西220m南北240mを領有していた天平の国分寺を1200年の時から取り戻すかの様に進むこの事業はまだ続き宝林寺の環境も更に変化していくのでしょう。

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