座禅和讃3月26日


因果一如の門ひらけ 
無二無三の道直し
無相の相を相として 
往くも帰るも余所ならず
無念の念を念として 
謡ふも舞ふも法の声
三昧無礙の空ひろく 
四智円明の月さえん
此の時何をか求むべき 
寂滅現前するゆえに
当処即ち蓮華国 
此の身即ち仏なり

座禅和讃解釈も最後のページとなりました。
なんだかここは切るところが見あたらず最後の「此の身即ち仏なり」まで行きます。

「因果一如」とは因果と一如です、因果とは原因と結果と言えば分かりやすいです。原因があれば必ず結果があり、結果があれば必ず原因があるのです。一如とは一体であることです、ようするに因も果も一体であることです、この道理は分かっているようでなかなか見逃し棚に上げていることが多いかも。
「無二無三の道直し」は最近はあまり使わない言葉「しゃにむに」(遮二無二)と同じ意味です、他の道はない唯まっしぐらです。
「道直し」は自照して人生の軌道修正でしょうか。話は横道となりますが、十年前の山暮らしの際、山道を通い稲作をしていました。オートバイがようよう通れる細くて険しい道です、山の道も大きな雨が降れば水の道になります、時々手入れをしなければオートバイも通行不可能となります、手入れのコツを掴めば雨水はうまく流れます何でもない道理ですが知ると知らないのは雲泥の差がありました。しかし余りにも大きな雨ならドッカーンと川となり激流となり山道はズタズタです、こうなればもう堪え忍んで直すしかありませんでした、道だったところの山肌を削ったり木を切り出し這わしたり石を運んだりして大変でした。諦めることはその道を放棄することでした、放棄すれば閉ざされるのでした。

「無相」とは形や姿がないことで一切の事物・現象は本来空で、固定した姿をもたないことです、或いは執着がないことです。「相」は姿、ありさま、思う、性質、状態、境地のことです。
「相」を調べていたらこんな熟語がありました三輪空寂・三輪清浄(同意)、意味は「相」の字義の一つに「跡を残したいという思い」がありまして続いて〜事物の表相のこと、仏教ではこれを捨てよ、というのです。具体的には、私が、誰に、何をしてやった、と言う三つの念を離れて施与せよ、三輪とは施者、受者、施物をさすのです。フ〜ム。
「往くも帰るも余所ならず」余所とは「よそ」と読みほかの所。別の場所です。何処に行っても何処にあっても此処である、今である、貴方が私が今が此処が一切が蓮華国・・・。
「無念の念を念として」無念とは妄念のないこと、とらわれのない正しい念慮(心の中で思いめぐらすこと)。
「謡ふも舞ふも法の声」歌うも踊るも心底心地よいときがある。
「三昧無礙の空ひろく」の「三昧」とは瞑想、心が安定している、道楽三昧もあります。「無礙」とは他のモノを拒否しないこと、何の障害もないことです。
「四智円明の月さえん」の「四智」とは法智・類智・他心智・世俗智あるいは大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智をさし、迷いを断ずる四種の智慧のことです。
円明とはみごとで完全なこと、円満明朗。

我生巳尽。
わが輪廻の生存はこれで尽きてしまったという智。

梵行巳立。
清らかな行ないが完成したという智。

所作巳弁。
なすべきことをなしおえたという智。

不受後有。
この生存を終えたら再び輪廻する身とならないという智。


もう少しお付き合いを大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智の解説をしたいのです。


【大円鏡智】だいえんきょうち
鏡にすべての像がそのまま映し出されるように、すべてのものをありのままに現わし出す仏智をいう。鏡のようにあらゆるすがたを照らし出す智。鏡のように一切を明らかにする智悪。鏡のような清浄無垢な心。それは何ものでも映し出し、人間のうちに内在する。

【平等性智】びょうどうしょうち
平等のさまを知る智。自己と他者との平等性を理解する智。自他の平等を体現する智。この智慧によって、一切の諸事象および自己と他人とは平等であると知り、大なる慈悲心を起こす。

【妙観察智】みょうかんざっち。
望むままに自由自在にはたらく智のこと。対象について十分に観察する知識。あらゆるものを正しく追求する智。あらゆるあり方を沈思熟慮する智。西方無量寿仏の智徳に配する。

【成所作智】じょうしょさっち
なすべきことをなし遂げる智。この智によって人びとを救済して作すべきところの事を成ずる。



和尚ラジニーシはこう語る


禅の人々は四智、すなわち四つの智慧について語る
三昧無擬の空ひろく
四智円明の月さえん
       
第一の智慧は大円鏡智と呼ばれる
思考、観念が浮かばないとき、人は鏡になる
これが第一の智慧、鏡のようにあることだ
第二の智慧は平等性智と呼ばれる
どんな思考もない鏡となるとき、世界におけるすべての区別が消えるそのとき、すべてがひとつになる
そのとき、薔薇、鳥、大地、空、海、砂、太陽はすべてひとつだ
それはひとつのエネルギーなのだ
あなたが鏡であるとき・・・
それは第一の智慧だが、第二の智慧が第一の智慧から生じてくる
平等性智だ
二元性は消える
そして第二の智慧から第三の智慧、妙観察智が生じてくる
世界中がひとつのエネルギーだと見抜いたときはじめて
人は自分もその同じエネルギーだと自分の内側に見てとることができる
そうなったら、見ている者と見られているものがひとつになり
観察者と観察されるものがひとつになる
それが第三の智慧、妙観察智だ
釈迦はそれに対して特別な用語をつかった
彼はそれを「法眼」と呼んだ
真理に対する眼、または真理の眼のことだ
霊的視覚、ヨーガ行者が 「第三の眼」と呼んだものが開く
キリストも、それをふたつの眼がひとつになるがゆえに「ひとつの眼」と呼んだ
法眼が開き、妙観察智に達する
そして第三の智慧から第四の智慧、成所作智が生じる
すべてが平等だと見抜いたとき
内側を見て、外側も内側も同じであると見抜いたとき
あなたは完成し、完全になっている
実をいえば、完全になったというのは真実ではない
あなたははじめからずっと完全だった
いまや、そのことがあなたに啓示され、顕わにされた
それは達成ではなく、啓示、顕示、顕現だ
そのあかつきには、人はこのように悟るーー
当処即ち蓮華国 
此の身即ち仏なり


今の時代に衆生本来仏なり〜当処即ち蓮華国此の身即ち仏なりと言っても何だか相手にされないような気もする、いやいやつまらないページを何枚も仕上げたのかも知れない。
毎日毎日殺戮のニュースが流れ金にまつわる話題は事欠かさずスポーツはますます面白くなりショーアップされ映像もますます美しく迫力を増しセックスは一枚剥けばすぐそこまでとことんなんでもありが満ちあふれ・・・しかし。
毎日毎日愛あふれる利他心の行為は殺戮より何億倍もあり金の物差しでは測れないモノにホッとして勝負と感動と興奮の源の遊び遊び方は上手に成らず純芸術は売れず対象付けを端折り操られるエクスタシー寂滅現前消え現れるなら奮って前向き当処即ち蓮華国此の身即ち仏なり。 ー完ー




参考・引用 中村元著佛教語大辞典
イタリック・座禅和讃 和尚ラジニーシ、白隠禅師を語る(瞑想社発行)


末文

他人のふんどしで相撲を取ると言う諺がある。
他人の持ち物を利用して、自分の利益や儲けをはかることのたとえだ、この座禅和讃解釈もそうだろう、白隠禅師と和尚ラジニーシを・・・にしてか、自分の言葉で語らなければ、我が身から出るアイデアで持論を展開しなければ通らない。
それならば世界最大の横綱はGoogleなのか、私は序二段にも上がれないと開き直ろう。