即身成仏義
経一論八箇の証文




昭和八年発行
真言宗全集・即身成仏義冒頭


空海の即身成仏儀は原文の漢文では四千字そこそこの著書である。

最初の六十四字を訳せば、こんなことを書いている。

質問していう。
「もろもろの経典や注解書のなかに、みな、かぎりなく長い間修行して、そののちにさとりを開くことができる、と説いてある。いま、あなたは、この身体のままでさとりを開くことができるという意義を主張するが、どんな典拠があるのか」
答えていう。
「密教経典のなかに、仏がそのように説いておられる」
「その経典の説は、どのようであるのか」
『金輪時処軌』(こんりんじしょき)に説いている。「この三昧を実修すれば、現にさとりを体得する」<この三昧というのは、ボロンの一字の真言で示される人中最高の金輪王としてあらわれた大日如来の精神統一の境地である>
松本照敬訳
弘法大師空海全集第二巻


この『金輪時処軌』とは
空海が請来(中国より持ち帰る)した金剛頂経一字頂輪王瑜伽一切時處念誦成仏儀軌(不空訳・一巻)と云う密教経典である。
残念ながら見たこともなく、ネット上には〜図書館蔵書目録に名しかなく、寺の書棚にはない。

密教大辞典で調べると大日金輪の儀軌(経典)にして即身成仏の深旨を説ける秘経なり。全部五字句の偈頌より成る・・・大金剛輪明王を尊としての念誦法とある。
大日金輪(だいにちきんりん)とは大日如来より出現したる一字金輪・・・一字金輪とは仏菩薩の功徳は皆この一尊に帰し種字真言・マントラは一字ボロンであり・・・即身成仏の真言でもある・・・・・・。

何が何だかである。

修行中(四度加行:しどけぎょう)一座の修法が満つる後供養の前に此の真言を呪する、長く孤独な時の終わりにこの短い真言、ボロンは心地よかった。舌を噛みそうな真言唯々繰り返す真言千辺万辺の中この真言はひと味違った感謝と云えばいいのかポジティブなフラシュバックをこの真言で数度味わった。

ボロン・ボロン・
ボロン・・ボロン・・・・(・。・...)


この真言を繰りこの金剛頂経一字頂輪王瑜伽一切時處念誦成仏儀軌に則り三昧(さんまい)するなれば仏菩提を證すとある。(仏のさとりを得る)
やはりこの経典を手にしたい。略して金輪時處軌を。ちなみに金輪とは大地の底にあり厚さ三億二万ヨージャナ、直径十二億三千四百五十ヨージャナあると云われ世界の九山八海を支えている(ヨージャナ:India.1ヨージャナ一は1日の旅程)。世界の果て。「もう金輪際タバコは吸いません」
只今終身禁煙挑戦中です。


三昧とは瞑想と置き換えても良いが万人共通してるのは「脳」の中が主である、「脳」が瞑想する。頭(脳)と離すことができぬ手足やその他の器官は脳が如何に無理なく三昧・瞑想に結びついていくかなるべく邪魔にならないようにしているものと考える。飛ぶことが主じゃない。 


この頃の日本はどんな風景だったのか
大和・奈良・平安時代と国造りが形となり「時」は三国伝来の新興宗教の仏教を輸入した。これは国家プロジェクトであり意図は国家鎮護・怨霊の鎮魂(政敵)・文明研究機関としてであった。それらの媒体は八万法蔵と云われる膨大な漢文体の儀軌経典の類だった。
当初は八万法蔵の中にある個人的希求に関することなど目もくれず吸い上げていなかったに違いない、まして個人の「幸」は三劫成仏路線で遙か遙かの又遙か先に用意しているのだった。

「君たちの救済はある。」
「救いはいつ訪れますか。」
「良く聞くがよい善男善女よ。新月の月沈むとき、天女が舞い降りこの岩を袖で撫でさする。撫でることさすること繰り返し岩が擦れ全て砂になる時に救いは顕れ訪れる。それまで信心に努め仕えていれば必ずや救われるぞや。」(創作三劫成仏思想その1)

「救いはある」と云われば悪い気はしない、しかし三劫成仏(本来のは創作より酷いのである)と即身に成仏と比べたら誰でも市場原理でも明らかではないか
(「成仏」の語彙が問題。だがクタバル事ではない)・・・。

禁煙三日目 '~(・。・)心臓が楽だ!


即身成仏義はまず序論に経典類を用いて即身成仏この身このまま〜(仏のさとりを得る)の根拠を並べ出す。

引用している経典類

大日経・住心品、悉地出現品、真言行学品
金剛頂瑜伽修習毘慮遮那三摩地法
成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌
菩提心論
以下白文は引用文章
松本照敬訳
弘法大師空海全集第二巻P221〜P224
二経一論八箇の証文



「この三昧を実修すれば、現にさとりを体得する」

「もし人びとが、この教えに遇って昼夜にいつでも励むならば、この世において歓喜地に至って、のちの十六生において正しいさとりを完成する」

「もしこのすぐれた真実の教えによって修行すれば、この世においてかぎりなく、すぐれたさとりを完成する」

「まさに知るべきである。おのが身体は、金剛のように堅固なる、永遠の世界になるであろう。自身が金剛になれば、堅固にして確実で傾き壊たれない。われは金剛の身体になる」。

「この身体を捨てず、思うまま行動できる能力を得て、大空位において、
思いのままに行動して、しかも身秘密を完成する」。

「この生のまま、密教の修行成就の境地を体得しょうと願うならば、自己の素質や念願に応ずる本尊を思念しなさい。親しく師匠のひざもとで、真言法を受けついで、法にたがわず観察し、本尊の境地に合致すれば、自己の願いを完成する」。

「真言密教の修法においてのみ、この身体のままで仏となる。その仏になるための手段として、ここに精神統一の方法を説くのである。他のもろもろの教えの中には、この方法が欠けており書きしるされていない」。

「もしも誰であっても、みほとけの智慧を得ようと求めて、さとりの心に到達すれば、父母より生まれたこの身体のままで、たちどころに大覚の位を証す」。





金剛頂経一字頂輪王瑜伽一切時處念誦成仏儀軌は
大正新脩大藏經テキストデータベースにありました。
お時間あればどうですか。
ダウンロード・ダウンロード目次の密教部2にあります。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~sat/japan/



仏教を松の木に喩えれば。
インドが放つ光の中、松は大きくなった。
種はブッダかナーガルジュナか
雲は西から東にか
松は荷車に船に家になる
インドが吸う影の思い出が旅を誘う
種はブッダか南無空海か
雲は西から東にか
仏教を杉の木に喩えれば、、、。







二経一論八箇の証文

2006.1.21