座禅和讃2月10日


水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく
衆生の外に仏なし

他国の言葉を自国の言葉に置き換える翻訳の限界があるように、同郷の中でも時世が300年もの開きがあれば限界はあるのだろうか、まして無知の輪が掛かる。

白隠禅師のころは冷蔵庫はない。
しかし、水が液体、個体、気体に変化する理は古今東西の必然である。液体の水、個体の氷の違いは歴然とあるが本質は同じである、環境の変化の状態の変化でしかない。衆生と仏の関係も同じだと言う白隠禅師。この環境の違いは温度のように外部の変化でなく内部(脳)の世界だ。
人間の脳は300年の中変化はしないが、ありとあらゆる物を具現してきた。真夏でも簡単に氷が出てくるしボタンひとつで事足りる生活を手にした、これは誠に便利であるが此処には段取りも手順もない、今更薪で風呂を焚くことを進めるものではないが、段取り・手順を一つ一つ重ねる所で日々暮らし営むことも恋しくなる。
衆生本来仏なり。

和尚ラジニーシは深読みの中「愛」で話しかける。

ちょっとした違いだ
だが、たいした違いではない
ほんとうの違いではない
ほんの表面的な違いだ
氷は融けて水になり、水は凍って氷になることができる
水と氷はひとつの現象のふたつの状態だ
あなたは氷のようであり、仏は水のようだ
あなたは凍りついているが、仏は融けている
繰り返して言おう
あなたが融けるのを助けてくれる秘術は、愛以外にはない
愛が融かす
なぜなら、愛は暖かみだからだ
人々は愛のなかではじめて融ける
愛のなかにいなければ冷たくなり、その冷たさゆえに人々は凍りつく
あなたなりにそれを見守ったことがあるはずだ
愛しているとき、あなたは流れている
流れているとき、あなたは成長している
愛しているとき、あなたは拡がる
愛していないとき、あなたは縮む
愛があるとき、身のまわりには暖かみがある
愛がないときは、冷たい風にさらされている
あなたは凍っていて、近くに来る人はだれでも凍ってしまう
人々が冷たい眼で見れば、あなたは身が震えるのを感じるだろう
人々が暖かい眼で、愛で見てくれたら、あなたはすぐにわが家にいると感じるだろう
自分がわが家にいるようにくつろがせてくれる眠がある
一方、あなたをじろりと見て、ここでは自分はよそ者だと気づかせる眼がある

水をはなれて氷なく
衆生の外に仏なし


イタリック
座禅和讃和尚ラジニーシ、白隠禅師を語る
p61〜62(瞑想社発行)