座禅和讃2月16日


六趣輪廻の因縁は 
己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏みそへて 
いつか生死をはなるべき

「輪廻」のイメージはいわゆる宗教的発想当初(起源)からあったと思う。輪廻の原意には流転がある、人間の営みの衣食住を点から線に繋げる何万年、何十万年何百万年の流転のなか表れた「宗教」その源は「苦」であった、これは紛れもない。「苦」の代表は「死」だ、死を克服するために古代の王は如何なる事もやり通し何万年も執着した、しかしどうあがいても死ぬことは避けられず、避けられないなら蘇ることにあがき執着したがこれまた無理だった。
其れならば...輪廻。死ぬことは免れず、蘇ることもままならず残る手だては輪廻であった。人間のイマジネーションの豊かさの為せる技である。

この六趣輪廻(六道輪廻・地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)とは仏教(ブッダ)以前のインドの伝統的な信仰であったバラモン教(後のヒンズー教)から来ている。バラモン教は輪廻転生しながら永遠に生き続ける魂(アートマン)の存在を説き信仰の拠り所にしていた。

仏教(ブッダ)は信仰を捨て去れと言い、信じる事でなく「見なさい」「知りなさい」と説き、眼・耳・鼻・舌・躰(接触)・心(感覚・感情・意志・意識)で計り知れない事に眼を向けなかった。それは日常の感覚的経験、具体的経験の中で観察して対処することであり、抽象的で超自然的分野を取り入れ対処することをブッダは切り捨てた。

しかし、ブッダ没後大乗仏教と云うものが表れた、ブッダの教えを守るよりももっと多くの衆生を救いたいとの思いで「菩薩」を生みだし「方便」をあみだした、方便とはある目的を達するため便宜的に用いられる手段、手だてである、この手だてのなか輪廻は仏教思想に再登場して教化の有力な武器となる。



ブッダ
真理のことば
中村元訳


身体がむらむらするのを、まもり落ち着けよ。身体について慎んでおれ。身体による悪い行ないを捨てて、身体によって善行を行なえ。(231)

ことばがむらむらするのを、まもり落ち着けよ。ことばについて慎しんでおれ。語による悪い行ないを捨てて、語によって書行を行なえ。(232)

心がむらむらするのを、まもり落ち着けよ。心について慎んでおれ。心による悪い行ないを捨てて、心によって善行を行なえ。(233)

落ち着いて思慮ある人は身をつつしみ、ことばをつつしみ、心をつつしむ。このようにかれらは実によく己れをまもっている。(234)