座禅和讃2月17日


夫れ摩訶衍の禅定は 
賞嘆するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 
念仏 懺悔 修行等
其の品多き諸善行 
皆此のうちに帰するなり



白隠は言う                 
幾時代ものあいだ宗教の名の許になされてきたことは
すべてひとつのことに帰する
それは瞑想、禅定だ
禅定とは何か?
まず、自分の肉体に気づくことーー
これが第一禅、瞑想の第一歩だ
それは自分の肉体を注意深く見守ることだ

歩いている自分を見守りなさい
食べている自分を見守りなさい
走っている自分を見守りなさい
しゃべっている自分、聞いている自分を見守りなさい
見守るのだ
見守ることによって、自分は肉体とは別個のものだと知る
なぜなら、見守る主体は見守られる対象ではありえないからだ
観察者は観察されるものではありえない
見る者は見られるものではありえない
知る者は知られるものではありえない

まず、肉体を見守りなさい
そうすれば、第二身体が出現してくるだろう
それはそこに存在する
あなたはそれを感じはじめる
あなたはそれに気づき、それはあなたを貫きはじめる
肉体を見守ることーーこれが瞑想の第一段階だ

次に、第二の段階ーー最後の段階ーーが来る
それは歓喜の身体を見守ることだ
エクスタシーを見守りなさい
そうすれば、あなたは突如として気づくだろう
見守る者は見守られるものではありえないということをーー
「エクスタシーはたしかにある
だが、私はそれとは別個に離れている
歓喜はたしかにある
だが、私は歓喜とは別の存在、離れて歓喜を知る者だ」

そうして、あなたは第三身体、法身のなかへはいりはじめる
そのあかつきには、あなたは純粋な観照者、サクシンになる
それこそが解脱だ
白隠は言う
人が自分の仏性を発見ーー再発見ーーするのは瞑想を通してだ



以前、墨画を集中して描いていたとき「観照」と「無作為」と云う言葉が頭から離れなくなり考え込んだ。
丁度この頃、ニューヨークに住む友人が私の墨画をPicture galleryに売り込む作戦を作り作品とレポートをアメリカに送った、レポートとは作者(私)の意気込みである。英訳するからとの事でアメリカ画壇にアピールする思いで作った。この話は前後おかしな話ではあったが、ここにそのレポートの前半を掲載する後半はこっぱずかしいので伏せる。


墨画

芸術は作家の行為で実存する。
行為とは意識した行いであり、意識の中に作品の趣意と表現方法がある、芸術家は各々の環境の内で自我を拠り所にして創作する、意識と行為を織りなすように積み上げていく中で生まれてくる芸術、とどまることのない意識の展開で可能となる新しい芸術。
しかしである、芸術の基軸、主体はどこなのか、それは心的能力を司る魂ではないか、芸術家たちは未だ解明不可能な魂の表現を目標にして意識と行為を駆使して創作活動を展開するのではないのだろうか。少なくとも私はそうである、しかし魂に近づくために用いる意識と行為はともすれば魂からかけ離れたものを目標としてしまう。

意識はどこまで意識できるのだろうか。
行為はどこまでコントロールできるのだろうか。

対象と体験に左右され続く意識は常に流れて不安定でありややもすれば魂を覆い隠す。
対象と体験との関係性の中で成立する行為は常に何を為すべきか、何を為すべきでないかにとらわれやすく、魂を遠ざける。

私の墨画は今ここに生きているこの時の私が出るか出ないかである。何を描くかを思案するのは自我である、自我に頼るのでなく、探求するものでもない。
精神的行為の思案、探求は今ここに生きている私を後回しにするだけだ。行為によって導かれるものでもない。
全ての行為を「為無為」(無為をもって行為をなす)に預けるのだ。・・・・・・・


今読んでもその当時ことを思い出す、売り込み文だから大げさだけど要するに「観照」と「無作為」である。

紙を広げその前に座り墨をする用意が調い、「ハテナ何を描こう」とする自分を観照(瞑想)する


一座の功を成す人も 
積みし無量の罪ほろぶ
悪趣いづくにありぬべき

一座とは「今」である先延ばしでもなく過去でもない不安も罪悪感も本来は不必要なのかも「衆生本来仏なり」だもの。
和尚ラジニーシは続ける・・・


人々は私のところへ釆て、たずねる
「人生の意味は何でしょう?」
あたかも意味が市場かどこかで売られているかのように
あたかも意味が商品であるかのように
意味とは創り出されるべきものだ
生に意味はない
意味は与えられるものではなく、創造されるべきものだ
それは内なる仕事にならなければならない
そうすれば、意味が現われるだろう
大いなる意味が現われるだろう
愛しなさい

瞑想しなさい
そうすれば、あなたは意味を達成するだろう
そうすれば、あなたは生を達成するだろう
ありあまるほどの<永遠の生>をーーー


イタリック・座禅和讃 和尚ラジニーシ、白隠禅師を語る(瞑想社発行)